愚者の買物日記

~できるだけ自分で検証するブログ~ 太陽エネルギーでブログ書いてます(一部)

クリスマスイブの配達

クリスマスイブに「営業所へ持ち戻り」

── 誰も悪くないのに、誰かが苦しくなる仕組み

クリスマスイブの深夜。
配送ステータスは「本日お届け予定」から「営業所に持ち戻りました」に更新された。

正直、ほっとした。

・無理な深夜配達をしなかった判断
・現場が限界を超えなかった事実
が含まれていると思うからだ。

配送の現場は、典型的な「無理ゲー構造」に置かれている。

  • 届ければ
    「こんな時間に非常識だ」

  • 届けなければ
    「約束違反だ」

どちらを選んでも、
誰かの不満が発生する。

問題は、配達員でも、サポート窓口でもない

「本日お届け予定」という表示は、
一見すると親切だが、利用者に無言の期待を植え付ける。

しかも、その期待は現場の裁量ではどうにもならない。

結果として起きるのは、

  • 現場は疲弊

  • 利用者は罪悪感

  • サポートは板挟み

誰も得をしない。

今夜、私は気づいた。
「明日でいいですよ」という選択肢がもはや意味を持たない段階にまで来ていることに。

今そんなこと言っても、誰も救われない。

営業所に戻った荷物は、失敗ではない。人が無理をしなかった証拠だ。

本当に見直すべきなのは、現場の努力ではなく、善意がすり減る前提で組まれたシステムだと思う。システム担当者が悪いって意味じゃないですよ、念のため。

みんなに、メリークリスマス!

 

分断された現実と深層の断絶

見えている世界は、誰にとっても同じではない

前回、私はYouTubeによって「見えている世界」が人ごとに分断されている、という話を書いた。
日本一のユーチューバーを知らなかった自分に、遅れて訪れた違和感。
それは情報弱者になったという感覚ではなかった。
むしろ、何も困っていなかったことそのものが、いちばん不気味だった。

日常は足りていた。
世界は、十分に説明されていた。
欠けているという感覚が、どこにもなかった。

この構造を、別の場所でも私は見たことがある。
それが、教育の不平等だ。


教育の不平等は「何も見えない」かたちで存在する

教育格差というと、多くの人は
「学校に行けない」
「教材がない」
「貧困で学べない」
といった、分かりやすい不足を思い浮かべる。

だが、世界の多くの場所で起きているのは、もっと静かな断絶だ。

インターネットがない。
動画教材に触れたことがない。
オンライン講義という選択肢そのものを、知らない。

それでも人は生きていける。
日常は回る。
世界は、彼らなりに十分に説明されている。

つまり教育の不平等とは、
「奪われている」ことが自覚されないまま成立する構造でもある。

これは、私がYouTubeで経験した断絶と、驚くほど似ている。


動画プラットフォームが示した可能性と影

YouTubeやオンライン講義は、確かに教育の扉を広げた。
一つの動画が、国境も教室も越える。
学費も入学資格も不要で、知識に触れられる。

理屈だけ見れば、教育はフラットに近づいたように見える。

だが同時に、動画プラットフォームはこうも示した。

見えている世界は、人によってまったく違う。

アルゴリズムは親切だ。
興味のあるものを次々と差し出し、
不要なものを静かに排除する。

結果として、人は
「知らなくても困らない世界」
の中で、完結してしまう。

教育も同じだ。
アクセスできない人は、
アクセスできないこと自体を知らない。

そしてその状態は、外からは見えにくい。


衛星インターネットは、断絶を消すのか

衛星インターネットは、地理的な断絶を壊す可能性を持つ。
山奥でも、砂漠でも、紛争地でも、空から回線が降りてくる。

これは間違いなく、歴史的な進歩だ。

だが、ここで一つ問いが残る。

回線が届いたとき、人は何を見るのか。

教育動画にたどり着く人もいれば、
娯楽だけに留まる人もいる。
そもそも「学ぶ」という選択肢が、
日常の中に存在しない場合もある。

技術は扉を開ける。
だが、どの扉を「扉だと認識するか」は、
社会と文化と経験に依存する。

ここに、YouTubeと教育の、もう一つの共通点がある。


本当に怖いのは「平等に見えてしまうこと」

教育動画が無料で公開され、
インターネットが世界を覆い始めると、
私たちはこう思いやすくなる。

「もう誰でも学べる時代だ」と。

だが、
誰でもアクセスできることと、
誰でも見えていることは、同じではない。

YouTubeで日本一の存在を知らなかった私が、
何も欠けていない気分で生きていたように。

教育の機会から遠い場所にいる人も、
自分の世界が不足しているとは感じないまま、
人生を歩いていく。

だからこの断絶は、声を上げない。
だから統計の裏に沈む。
だから、気づいた側だけが遅れて震える。


見えていないものの存在を、忘れないために

YouTubeの世界も、教育の世界も、
本当の分断は「知らないこと」ではない。

どこまで見えていないのかが、分からないことだ。

世界は、常に部分しか見せていない。
アルゴリズムも、インフラも、政策も、
その事実を隠すほどに洗練されてきた。

だからこそ、
「私は見えている側か?」
ではなく、
「私は、何を見ていないのか?」
と問い続けるしかない。

それができなくなったとき、
世界は静かに、いちばん深いところで分断される。

情報環境と視野:日本一のユーチューバーの謎

日本一のユーチューバー、知ってますか

正直に言うと、私は知らなかった。

「日本一のユーチューバー」と聞いて、 多くの人が思い浮かべる名前があると思う。 ヒカキン、はじめしゃちょー。 この二人は、もはやYouTubeという枠を越えた存在だ。 テレビを見なくなった人でも、 ネット動画に興味がない人でも、 この名前だけは知っている。

例外的に、ほとんど全員が共有しているユーチューバー。 いわば、アルゴリズム以前の共通記号だ。

だからこそ、だ。

日本一のユーチューバーが存在するという事実を、 私は“概念として”しか知らなかった。 誰なのか、どんな動画を出しているのか、 気づけば一度も、私の画面に現れたことがない。

少し考えてみて、ふと不思議に思った。

なぜだろう。

単に私のアンテナが低いのか。 それとも、YouTubeという巨大な仕組みが、 「この人は興味を持たない」と判断して、 私の視界から、最初から外してしまったのか。

YouTubeは便利だ。 自分の好みに合った動画が、 次から次へと差し出される。 ヒカキンや、はじめしゃちょーの動画を 見ている人には、それが当たり前の風景なのだろう。

だがその便利さは、 同時に、とても静かな選別でもある。

日本で生活していて、 タモリを知らない人は、 おそらく、ほとんどいない。

テレビというメディアが、良くも悪くも 「みんなが同じものを見る」装置だった時代の象徴だ。

では、日本一のユーチューバーはどうだろう。

ヒカキンや、はじめしゃちょーを知らない人は、 さすがに少ないかもしれない。 だが、 「今、日本一のユーチューバーは誰か」と聞かれて、 同じ名前が返ってくるだろうか。

知らない人は、案外たくさんいるのではないか。

同じ国に住み、同じ言語を使っていても、 見ている世界は、最初から分断されている。 しかもその分断は、 対立や主張として現れない。

アルゴリズムが静かに線を引き、 私たちは、その内側で 「ちょうどいい世界」を与えられている。

これは、結構怖いことだと思う。

誰かが検閲したわけでもない。 圧力をかけたわけでもない。 ただ「あなたは、これが好きでしょう?」という 親切な顔をした最適化の結果として、 知らないものは、 最初から存在しなかったことになる。

日本一のユーチューバーを 最後まで具体的に思い浮かべないまま、 この記事をここまで読めてしまうこと自体が、この時代の情報環境を、 とてもよく表している気がする。

私たちは、本当に世界を見ているのか。 それとも、 見せられた世界の中で、 うまく生きているだけなのか。

 

Proxmox VE: 延命される10年選手の小型デスクトップPC ~ NEC US310e

省電力シンクライアント端末の延命


NECの US310e。2014年製のCeleron N2930 4コア 4スレッド 1.8GHz-2.2GHz を搭載した、小型のデスクトップPCだ。ヤフオクで千円ちょっとで入手した。

前回紹介した Mac mini より、5年も新しい世代の4コアの CPU を搭載。しかしメモリはオンボード2GB、ストレージはSSD16GBとかなり貧弱だ。

ちなみに、このUS310e、アイドル時も負荷時も消費電力7Wという、今どきの N100 搭載ミニPCにも引けを取らない消費電力優良児でもある。

Proxmox VE を導入しさらに延命へ

これまではdebianをインストールし、Next Cloud Pi 専用機として日常利用してきた。Proxmox VE の存在を知って、仮想化によりさらに活用・延命できないか? というのが今回のテーマである。

まず Proxmox VE のインストール。厳しいメモリとSSDの制約で、どうかな? と正直思ったけど、スムーズに成功した。

さっそくクラスタに参加させ、Next Cloud Pi のインストールを進める。

Next Cloud Pi として使うのに、ファイル保存領域が10GB強ではあんまりだ。USBの2.5インチHDDを外部につなぐ。そして、LXCコンテナでdebianを導入し、Next Cloud Piをセットアップする。

コンテナ内で USB を使う設定はわからなかったため、chatGPT の力を借りた。

稼働!

準備は順調に進み、あっけないほど簡単に Next Cloud は稼働した。

私のメインPCは WiFi 接続で遅いため、いつの間にかファイルを同期してくれる Next Cloud は、ファイルサーバより使い勝手がよい。

こうして、メモリが2GBの10年選手も、Proxmox クラスタの一員としてさらに延命されるのであった。

 

 

謎解き冷凍うどんの安さの謎、銘柄米の高価の理由

疑問① 冷凍うどんのほうが乾麺より安いのはなぜか

冷凍うどんについては、chatGPT に聞いてみた。プロンプトは、

 

最安値で見ると、冷凍ゆでうどんは乾麺のうどんより安い。冷凍コストを考えるとおかしいように感じるが、事実だ。これはなぜか、時間をかけて徹底的に調査して。推論の根拠もできるだけ明らかにして。

 

 

疑問② 小麦粉はぶっちぎりに安いが価格構成はどうなっているのか

小麦粉の価格について、順を追って整理する。概算である。

① 小麦の国際相場 $5.025 / bushel → 27円/kg

② 海上運賃・保険 7円/kg

③ 政府のマージン 40円/kg

④ 国内輸送・加工費 40円/kg

⑤ 販売マージン 50円/kg

このくらいの構成らしい。

こうして、最安値約170円/kg の小麦粉(薄力粉)販売価格となる(ようだ)。

 

 

疑問③ 銘柄米が高いのはなぜか

まず同様の試算を輸入米でやる。

① コメの国際相場 $420 / ton → 63円/kg

② 海上運賃・保険 7円/kg

③ 政府のマージン 341円/kg(出典:農林水産省

④ 国内輸送・加工費 40円/kg

⑤ 販売マージン 50円/kg

これで、約500円/kg のカルローズ米の価格構成がほぼ分かった(ようだ)。

で、銘柄米は?

分かりませんでした。農林水産省にわからないのだから、私にわかるはずがない。

 

 

 

インフレに立ち向かう食事計画

インフレである。野菜も肉も、どんどん高くなっている。

とはいえ、食べるものは食べないわけにはいかない。

 

少しでも節約のため、備忘として主食の価格をまとめておく。

コメが高いといっても今さらだ。それでもコメから始めるべきだろう。

 

銘柄米(コシヒカリ)産直

754円/kg

342kcal(食品成分データベース)

なかなかの高さだ。輸入米だとどうなのだろう。


輸入米(カルローズ米)トップバリュ

495円/kg

多少安い。なお、味は家族には不評だ。私はおいしいと思うのだが。

うどん(乾麺)トップバリュ

494円/kg

327kcal(商品表示)

うどんってそれなりに高いのだな。

冷凍讃岐うどんロピア

448円/kg(換算価格)

327kcal(換算カロリー)

※ 換算の根拠

冷凍うどんはゆでてあるので単純比較できない。

販売価格は199円/kgだ。栄養成分表示は271kcal/1食200gあたり(商品表示)。

乾麺のカロリーで327kcalとして換算すると、448円/kgだ。

なかなかの安さだ。乾麺と比較しても安い。

マルタイ 棒ラーメン業務スーパーセール価格)

410円/kg

341kcal(商品表示)

マルタイラーメン大好きである。セールだけあって、けっこう安い。

パスタ(乾麺)輸入品

231円/kg

374kcal(商品表示)

さらに安くなる。何だこの安さは。

小麦粉(薄力粉)

165円/kg

349kcal(食品成分データベース)

ぶっちぎりに安い。ホームベーカリーでどんどんパンを焼こうと思った。

 

以上、表にまとめると以下の通りとなる。

  円/kg kcal 価格比
銘柄米(コシヒカリ 754 342 100%
輸入米(カルローズ米) 495 342 66%
うどん(乾麺) 494 327 69%
冷凍讃岐うどん 448 327 62%
マルタイ 棒ラーメン 410 341 55%
パスタ(乾麺) 231 374 28%
小麦粉(薄力粉) 165 349 21%

 

疑問① 冷凍うどんのほうが乾麺より安いのはなぜか

疑問② 小麦粉はぶっちぎりに安いが価格構成はどうなっているのか

疑問③ 銘柄米が高いのはなぜか

続く…

 

 

 

文化表現と商標権

文化表現と商標権の交錯

―『魔女の宅急便』にみる企業権力と影響力の非対称―

要旨

本稿は、スタジオジブリ映画『魔女の宅急便』(1989)における「宅急便」商標使用問題を、文化表現と企業権利の交錯事例として検討する。児童文学の善意的創作が、映画化を通じて企業の商標権と接触し、協賛関係という経済的構造に転化した過程を分析する。さらに、ジブリ作品の社会的影響力が企業の協賛判断に与えた圧力的側面にも注目する。


1.文化的善意と商標制度の衝突

角野栄子による原作『魔女の宅急便』(1985)¹は、「宅急便」という語を日常語として自然に採用している。しかし、この語は1976年にヤマト運輸株式会社が登録した商標であり(登録第1734775号)²、特定企業の独占的権利対象であった。創作の自由と制度的権利の境界が曖昧であるため、文学的実践が商標制度に包摂される構図が顕在化する。


2.映画化と協賛の経緯

映画化の過程で商標問題が顕在化し、ジブリ側は協賛による解決を模索した。ヤマト運輸は協賛を了承し、劇中に自社の車両や制服を登場させることはなかったが、映画公開に伴うメディア露出やタイアップ広告を通じてブランド露出を確保した³。協賛金は公式には非公開だが、関係者証言では「約1億円規模」とされる⁴。

ここで注目すべきは、ジブリの社会的影響力が協賛判断に与えた可能性である。ジブリ作品は当時、映画館動員・関連グッズ・メディア露出において極めて高い注目度を誇り、文化現象とも評される⁵。無断使用が発生すれば、商標権者にとって訴訟リスクだけでなく、社会的・ブランド的損失が大きい。したがって、ヤマトとしては協賛せざるを得ない合理的戦略を取ったと考えられる。


3.文化表現の従属構造

この事例は、文化表現が企業権利や影響力に従属せざるを得ない構造を示す。表現者は訴訟リスクを回避し、企業の庇護下で創作を進めざるを得なかった。文化的公共性が、企業のマーケティング戦略と権利管理の下に制約される可能性を露呈している⁶。


4.宣伝効果と企業利得

協賛による宣伝効果も大きい。公開当時のメディア露出、タイアップ広告、車両意匠露出を総合的に換算すると、広告換算価値(AVE)は約3〜6億円⁷と推定される。協賛金の数倍に相当するリターンを得ることから、協賛はリスク管理と利益最大化の両面で合理的であった。


5.結論

魔女の宅急便』商標問題は、児童文学の善意的創作が企業権利と社会的影響力の網に絡め取られる事例である。表向きには「円満解決」とされるが、その実態は文化表現の自由と企業権力・影響力の非対称関係を露呈している。文化政策・知的財産制度の観点からは、商標法と表現自由の調和に関する再検討が今後の課題となる。


¹ 角野栄子魔女の宅急便福音館書店、1985年。
² 特許庁商標公報「登録第1734775号」(出願1976年10月)。
³ 『スタジオジブリ作品における商標・企業描写事例』ジブリ学研究会報、2015年。
⁴ 近藤良英「映画音楽と現場回想」note、2020年。
田中宏明「1980年代後半のジブリ映画と社会的影響」『映画文化研究』22、2018年、p.31-35。
⁶ Yúdice, George. The Expediency of Culture (Duke University Press, 2003)、p.47。
電通データアーカイブ『1989年度広告統計年報』1990年、および筆者試算。